2015年5月7日木曜日
はじめまして!
大分ってどこだっけ?
私は、2歳の頃に水泳を始めて高校生まで約16年間?スイマーを続けていました。もはや腐れ縁です(笑)そんな私も、この東京の地でようやくスイマーという立場から離れ、マネージャーとして水泳と関わっていくことを決意しました。今まで水泳と関わりがあったとはいえ、マネージャーとしての仕事はまだまだわからないことや至らない点が多く、毎回の練習が勉強です/ _ ;これから、同期や先輩方と一緒に成長していけたら、と思います。
かためのおはなしはここまでにして、少し自分のことについてお話しさせていただきます( ´ ▽ ` )ノ
先ほども書いたように、私は大分の出身で、東京に来てからはよく方言について指摘をされます(笑)指摘、まではいいのですが「大分弁で怒って!」とリクエストされた時は本当に驚きました…。そこで、大分弁を少しご紹介させていただこうと思います!
例えば標準語だと「だから、やめてって言ってるでしょ!」が(あってますよね…?)、大分弁だと『やけん、やめてっち言いよんやろ!』と、なります。他にも、「すごく面倒くさい」は、『しんけんよだきい』となります。私は、大分弁の方が自分の感情をぴったり言い表せているような気がするのですが、はたから見るとただの田舎っぺのようです(笑)必死に方言を出さないようにしている今を踏まえると、いずれ私がエセ東京人になる日が来るのかもしれません…。
まーったく大分の魅力は伝わっていないと思いますが、大分は(たしか)源泉数・湧出量共にトップを誇るれっきとしたおんせん県です!日々の疲れを癒しに是非一度訪れてみてください☆
えーっと…、ローカルトーク失礼いたしました。続きましては我らが姉、あやねえこと佐々木彩子です!彼女は我らの頼れるお姉さん、元いお母さん(?)的存在です。かの英国紳士を目指す彼もかなりお世話になっているそうな…。一年のトリとしてあやねえが何を語ってくれるのか必見です(= ̄ ρ ̄=)
以上、田舎っぺ坪井がお送りいたしました!
2015年5月6日水曜日
大学生です(o^^o)
2015年5月5日火曜日
鮫とイタリアと私
生まれは日本のシチリア的アイランド熊本県天草市!!!そうですあの天草!!天草四郎くんはさておき、16世紀には我が故郷から天正遣欧少年使節団がヨーロッパへと派遣されローマ教皇に謁見するなど、私の心はご先祖様の時代からイタリアへと繋がっているのでございます。
そんなイタリア談義はさておき!
天草で伝えたかったことはアレです。私は完全なる田舎者だということです笑 都会っ子っぽいと囃されることが多いですが、根っからのカントリーガールですのでお手柔らかに。
さてさて水泳ですが、小学4年生から初級コースも介さずに選手コースにぶち込まれて今年で10年目。10年間バックだけを専門に泳いで参りました^^ 目標は全国公でそれなりの戦いをすること!あわよくば決勝入りを目指して頑張りたいと思います。基本的に長距離派ですがまだ体力が戻ってきていないので、体力作りに励みたいです^ ^
泳いでいないときは本を読んだり映画を見たり、美術展やオペラ鑑賞に出かけます!(あれっ、真面目ちゃんに見える)それと水族館に行って鮫と見つめ合うことが趣味かなー。音楽の趣味は筆舌に尽くしがたいので興味があれば直接聞いてくださいね笑
長くなりましたが、私の自己紹介などはタイトルが全て物語っております。今年の1年生は、謎の方言を喋る自称英国紳士に仙台が生んだハーフ英国紳士、さらにはアラビア語を操るシリア研究会員に、外大一のイタリアかぶれが加わりまして早々に破天荒なラインナップですね(^○^)先輩方すみません♡!
続きましては、我らが癒し系マネージャー(だと信じたい)ゆきえです!どんな自己紹介をしてくれるのか楽しみですね!
それでは私はこれで!今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m
2015年5月4日月曜日
السالام عليكم اسمي حا كا تا تو مو
2015年5月3日日曜日
盛岡からお送りします!
、盛岡市(高松)→盛岡市(北松園)→盛岡市(松園)と何度か引っ越しをして、現在の東京都府中市に至りました
何ヶ月もの間、凍結していたリレー日記ですが、自分の日記で1日で3件目になりますね。毎回リレー日記を楽しみにしている愛読者にはなんとも喜ばしいことだと思います(^^)
先ほどもムネが最後に言っていたように、自分はチャラいという印象が持たれますが、人を見た目で判断してはいけませんよ!私は何を隠そうと、ムネが欲しがっている英国紳士という称号を生まれながらにして手に入れたのです(日本とイギリスのハーフなだけです。すいません)。
友人に対する寛容さ、女性に見せるさりげない優しさ、先輩、師への尊敬の念を兼ね備えている誠実な男です。チャラいはずがありませんヽ(´o`;
こんな話はよしといて、皆さんはGWをいかが過ごされていますか?
自分は盛岡に帰省して、高校時代通っていたスイミングクラブの練習に参加して疲れ果てたり、カラオケに行き、Maroon 5の曲を歌って喉がつぶれたりなど楽しく過ごしています\(^o^)/ 明日は高校の先生とランチしたり、明後日はまた練習に参加したりなど、非常に充実していますよー
夕方に見る岩手山、東京では決して飲めないおいしい水道水など、岩手には沢山の魅力があります^ ^
ぜひいらしてくださいねー(^_^)
楽しい楽しいGWが終わると楽しい楽しい春季がありますね!自分はリレー含めて5種目に出場しますが、なんといっても不安なのがメドレーリレー 私はS4のBrを泳ぐのです( ̄◇ ̄;) 事実、昨日の練習でFr5本ダッシュした後に、Brで5本ダッシュしたら頭の中にお花畑が見えてしまいました(゚o゚;;
ここで皆さんは疑問をもつはずです。なぜ、そんな自分が、Brを泳ぐのかと。。。
それは偶然でも必然でもなく、たった1度の○○○で決まってしまいました。しかし、そうなってしまった以上やるしかないのです!「ルークにBrは無理だ」と思っているそこの君!そんなこと二度と思いなくなるほどの泳ぎをしますよ!!!
TUFSWIMに入って1カ月。
部活の雰囲気が良く、自分もすぐになじむことができました。合格発表の夜に電話してきたcrazyな先輩、真面目な面もあればぶっ飛んでる面もある先輩、初めてお会いした時しっかりしている人だな〜って思ったけど、その感想を裏切るほどの能力を持つ先輩、爽やかな英語科の先輩など多くの良い先輩や、楽しい同期の人に会えて幸せです(^O^)だから自分も本気で泳ぎます!
目標は全国公に出場することです!高3の時ケガで挫折した悔しさをバネに頑張っていきます!!
いろいろ喋りましたが、次の筆者はなんと!!
湘南男児で春季のメドレーリレーでFrを泳ぐ権利を獲得したlucky boy、博田 智 (はかた とも)です\(^o^)/
彼はレアなまともな人間であり、そんな彼が書く日記に乞うご期待を!
以上、盛岡からお送りしました!
Ladies' and Gentleman,and I am a gentleman.
英国紳士になりたい。
自己紹介します(^^)/
竹内 宗之(Muneyuki Takeuchi)、時々Inside Bamboo.
高校は人吉高校(先日、人吉・球磨地方は日本遺産に登録されました。何故かは分かりません)
生まれは沖縄。
その後、長崎(弟誕生)→福岡→熊本→沖縄→大分→熊本、そして現在東京都にいるわけでありまして。
水泳は二歳からの水泳歴17年!S1はバック!モットー(仮)は"真面目に不真面目"!
特技はミッフィーちゃん!
趣味は料理とお絵かきとポケモン!
ざっとこんな感じかな?
皆様GWいかがお過ごしですか?
グッジョブな日々でしょうか?
僕も、美術館にふらっといったりして、とてもじゅうじ、、、
だ☆わ☆け☆な☆い(ToT)
だわけねぇだろーがおぇぇ!!!
実は昨日から、偏頭痛+胃腸炎のような症状が・・・
G(ギュルギュル)W(ウェェ)、そんなわしのGW。
30分に一度はトイレにいき・・・
今月の水道代が不安じゃ〜
さて、野口英世の愚直ひでーよもここらへんにしまして
4/1、水泳部の新歓にジャンピン☆インして、はや一ヶ月。
・・・そうか、一ヶ月たったのか・・・
時がたつのは速かです(-_-;)
さて、一ヶ月。
同期の何人かと奇跡的な繋がりがあり、世界の狭さを実感しました。(今、揺れました。地震?)
そしてTUFSWIMのメンツの濃い事!
やっぱ、今までもそうだったように、水泳部には変人が多いんだなぁ( ̄▽ ̄;)
いやぁ、わしもがんばらな。
この調子だと、晩御飯はお粥かな。梅干し欲しいな。昨日から体が食べ物を受け付けてないんで、たぶんぎゃばうまかですよ(^^)/
梅お粥・・・ヌハハー!
いっちょまえにお腹も鳴り始めました!アルティメット☆フィーバァ!!!よし、買い出しにいこう!
最後に抱負を。
インカレ個人出場。これを目標にします。
そして、TUFSWIMの歴1を総なめすることも目標です。
水泳選手としてのラストステージ、TUFSWIMに貢献すると同時に、僕がギュンッっとこのチームを今より上のレベルへ、引っ張りたい。
幸い、僕には先輩たちを初め、素晴らしい仲間ができました。なので、きっとできる、できるできる、絶対にできると思います。ご期待ください、わし頑張ります。
つらいこと、苦しいこと、これからあるかもですが、
みんな、竹になろうよ。
ね!
文章が破綻してたらすいません。
こんなわしでも一所懸命生きとるんです。
リレーなんで引き継ぎます。
次は東北は岩手、盛岡が生んだスカイウォーカー、
本村 光 (チャラ)ルークにパスします。
なかなか面白い輩なので、みなさんご期待を。
引き継いだところでわしゃ行ってきます。
・・・トイレに(-_-;)
在りし日の思ひで《4》
ーー近寄った彼が、どうやら目を閉じているとわかった時に、僕らは一同戸惑いを隠せませんでした。居眠りか?誰もがそう思った時、彼はゆっくりと目を開けました。彼は、瞑想していたのでした。
彼の顔には、もはやあらゆる感情の昂りが陰を潜めていました。彼は、夢を見ているかのような面持ちで話を始めました。
曰く、今回の結果(言い忘れていたので補足すると、僕ら進学クラスは、合計得点で並んでいた隣のクラスに、入賞者の数で勝っていた為に見事学年優勝を果たしました)は、お前たちのバスケをしたいという想いが起こした「奇跡」だ。おれは、バスケの神様の存在を信じてる。彼がきっと、お前らの情熱に応えてくれたんだ。
よく見ると、彼の目は僕らではなく、もっと遠くを見つめているようでした。正直、僕はいささか拍子抜けの思いがありましたが、まあ仕方がない、戻れっていうなら戻ってまた頑張ろう、という気持ちでいました。
するとその時、突然彼の目が僕を捕らえました。そして残念そうな顔をして僕を見つめ、僕の名前を呼んで言いました。
「おまえの今回の頑張りも、俺はよく分かってる。でも、今回の奇跡は、残念ながらおまえのものではない。よって、申し訳ないが、お前を部に戻すことはできない」
その時の心情は、控えめに言っても「意味不明」でした。この人は一体、何を言っているのか。もしかしてこの人は、本気で奇跡がどーのこーのと言っているのか。だとしたら、もしかして、今抜けておくのがやっぱりベストなのではないか……
職員室をでて、みんなは僕をしきりに慰めてくれましたが、僕はむしろ彼らを慰めてあげたいくらいの心境でした。ふと顔を上げると、廊下にはどこからか聞こえてくる、生徒同士の笑い合う声が無数に反響しあっていました。こんな風に、何気ない日常が僕の中に流れ込んできたのはいつ以来だろう。僕は体育館で過ごした年月を数えようとして、やめました。それから、もう二度と僕がバスケットシューズを履いて体育館の門をくぐることはありませんでした。(実はその後も、同期や先輩に促されて、何回か一人先生の元に話をしに行きましたが、毎回毎回「奇跡を起こしてから来い」の一点張りで、次第に皆も僕の復帰をあきらめ始めました。)
バスケという僕の高校生活の柱が抜けてしまい、僕は抜け殻のようになって二年生の春を迎えました。心の中にぽっかりと空いてしまった溝を埋めるために、ギター買ってみたりもしました。そんな春のある日、僕の担任の英語教師が僕に寄ってきて、二枚の紙を手渡しました。そこには「入部届け」と「部長承認届け」と書いてあり、それぞれの空欄にはすでに僕の名前が書き込まれていました。そして部活名の欄には、「アメリカ研究部」とあります。
話を聞くと、どうやらそれは、各教師が必ず一つの部活あるいは同好会の顧問をしなくてはならない、という規則からの隠れ蓑として担任が保ち続けてきた名ばかりの同好会のようでした。きくと、部費はもらえない、部室もない、活動も未定。僕はその書類にサインをしながらふと思いました。そうだ、勉強をしよう、と。そうでないと、せっかくの自由な時間が無駄になってしまう。その時ふと、体育館からみんなの声が聞こえたような気がしました。僕は一瞬体育館の方を見て、それから向き直りました。こうして僕は、アメリカ研究部部長兼副部長になりました。そして、僕の長い受験生生活がようやく始まろうとしていたのです。
ずいぶん長くなってしまいました。こんな話興味ねえよ、という方、大変申し訳ありません。リレー日記を長らく止めてしまったことへの僕なりの罪滅ぼしと考えてください。次は、待望の新入生紹介!先ずはポルトガル語科スイマーの、竹内宗之くん、お願いしまーす!
在りし日の思ひで《3》
そんな僕の目の前に現れたのが、いっこうえの先輩です。「おまえら、まさかこのまま辞めないよな?毎日便所掃除でもして、先生に誠意示して戻ってこい」そう言って、励ましのつもりか、コーンスープを渡して去って行きました。こうなってしまっては、ほとんど選択の余地などないのです。自分で書いていてもおかしな話ですが、僕は当時、自分の感情を殺すことが当たり前のように考えていました。
早速僕らは、体育館のトイレ掃除を始めました。しかし、そこは生徒しか利用せず、僕らの頑張りを先生に伝えてくれそうな人は誰もいなかったので、2日でやめました。自転車置き場の掃除をしてみても、業者のおばちゃんに感謝されておしまいでした。
だからと言って、先生に向かって自分たちの活動を報告するのはあまりにもナンセンスでした。こうなってくると、もはや道は一つしかない。試走での借りは、本番で返すしかない。僕たちは目前に迫っていたマラソン大会に向けて、士気を高めていきました。
こうして迎えた本番当日は、今にも雪が降り出しそうな冬の1日でした。吐く息が、白く光っては消えました。僕たちはスタート地点に立って、そして走り始めました。
僕は、あのレースを今でも思い出します。もしも、あのレースの結果がもう少し違っていたら、今の僕はどうなっていたのだろう。僕はタフスイムには入っていたでしょうか。いや、そもそも、この大学に入っていたでしょうか。
僕の結果は、47位でした。他のみんなが一桁、あるいは20位以内に食い込んで学年表彰を受けている中、僕はそれを、なぜかしたり顔で、拍手する側の人間でした。そしてこの結果が、僕たちの未来を二つに分けたのでした。《続く》
在りし日の思ひで《2》
能ある鷹は爪を隠す、とよく言いますが、その時僕らバスケ部の数人は、爪を隠すどころか見せびらかしていました。今の自分の目の前に当時の自分が走っていたら、思わず跳び蹴りを食らわすのではないでしょうか。とはいえ、その日はあくまでも単なるコース確認でしたから、ほかにもふざけている生徒はたくさんいましたし、とても緊張感とは程遠い空気でした。でも、そんなの関係なかったんです。あの頃の教師たちは、僕ら進学クラスのバスケ部員を改心させる機会を、ハイエナのように虎視眈々と狙っていたのですから。
放課後の練習に備えて余力を残してゴールした僕たちは、体育館に向かう前にコンビニに寄り、練習のためのスポーツドリンクと、それから甘いお菓子を買って、つかの間の至福の時を喜び合いました。喜び合うとは言っても、先程までのはしゃいだ空気は何処へやらとうに霧散し、各々の面持ちはさながら徴兵を控える兵士のものでした。でも、そんなのいつものことです。重い足取りを引きずって体育館に足を踏み入れると、体育館には西日がまっすぐに差し込んでいました。なんと美しい。しかし、その美しさも僕らからは限りなく遠い。そんなことを考えながらボールをついていると、突如教員用のドアが開いて、膝まであるトレンチコートを羽織った顧問の先生が出てきました。いつものように手にしてい
たボールを置いて先生の元へ駆け寄って挨拶しようとすると、先生はそれを手で制し、僕を含めた数人の名を呼びました。
それでも身には何の覚えもなかった僕らですから、何の気なしに駆け寄っていくと、先生は出し抜けに、体育館の壁に背中をつけて、横一列に並べ、と命じました。近くで見てみると、彼は鬼のような形相を浮かべていました。その時ようやく、どうやら自分たちの身には何かよくないことが起ころうとしていることに気がついたのです。
先生はトレンチコートの裾を翻しながら僕らの顔を舐めるように眺め回し、僕たちの犯した大きな大きな罪について話し始めました。どうやら、僕らを知る教師が彼に告発したようでした。彼は言いました、お前たちのしたことは、学校や他の全ての生徒への侮辱だと。そんな奴らに、部活を続ける資格などありはしない、と。
耳を済ませれば、僕の隣から嗚咽する声が聞こえます。彼は恐怖のあまり泣き出してしまったのでした。実際、僕も恐怖のあまり膝の震えが止まりませんでした。彼はこう言って、教員控え室へ下がりました。「おまえら、二度と俺の目の前に現れるな。次に現れたらお前らのこと、殺しちまいそうだよ‼︎‼︎‼︎」
実際に、エキサイトした練習の最中には僕らを殴り蹴ることもしょっちゅうだった彼のことですから、その時は本当に二度と関わるまいと思いました。それに、意地だけで続けていた部活を「辞める」のではなく「辞めさせられる」のは、僕にとってある意味ベストではありましたから、その日逃げるように制服に着替えて体育館を後にした時には、妙な体の軽さを感じもしました。先ほど買ったスポーツドリンクも未開封のままカバンに入っていました。僕はそれを一気に飲んで、乾ききった口の中を潤して外に出ました。外はすでに真っ暗でしたが、眩しい程明るい月が夜道を照らしていました。《続く》
在りし日の思ひで《1》
さて、僕も気がつけば三年生になり、大学生になって3度目の夏が近づいてきました。そんなわけで(?)、今回は僕が高校の頃所属していたバスケットボール部について少し書こうかなと思います。始めに話しておくと、僕は高校からバスケットボールを始めて、一年の1月28日にバスケットボール部を辞めさせられました。"辞めさせられた"という事実を、僕は不思議に思ったこともありませんでしたが、大学の友人は一様に驚きの表情を浮かべるので、たしかになかなか珍しいのかもしれません。
はじめに言っておくと、僕はこの話を語るにあたって、母校への恨みなどは少しも持っていません。あの高校での生活がなければ今の僕はなかったはずだし、高校生の僕はそれなりに楽しい日々を送っていましたから。それでは、話を始めようと思います。
僕は中学の終わりにバスケットボールのマンガに触発されてバスケットボールを始めた、ありきたりな高校生の一人でした。しかし僕の高校のバスケ部は、実績こそ大したことないが、その練習はハードなことで有名でした。当時学業成績上位者の選抜クラスに在籍していた僕は、担任や両親から盛んに反対を受けましたが、それらをなんとか押し切って、同じく初心者の数人とバスケ部に入部しました。
バスケ部の練習は、思ったよりもずっとハードでした。というよりも、先輩の大半は小学校や中学からバスケをやっていた人たちで、そうでない僕たちとの間には絶望的な能力差がありました。僕の初心者の友人たちはみるみる減り、夏になる頃には部員は半分以下にまで減っていました。
この段階で、部員の退部ラッシュはひとまず収束し、チーム一丸で暑くて厳しい夏を越えることになります。練習の休みはほとんどなく、毎朝目が醒めるのが憂鬱で仕方がなかった僕ですが、始めたからには、という意地だけでしがみついて、どうにか部活を辞めずにいました。
夏が終わり、秋が来ました。体育館の窓を開ければ涼しい風が吹き抜ける季節がやって来て、1日の練習で4リットルものスポーツドリンクを消費する季節は終わりました。その頃になると、予備校実施の模擬試験は月を重ねるごとに増え、担任と具体的な大学名をまじえて面接をする機会が増え始めました。
担任の、早く部活を辞めろ、と言う心の声は会うたびに肌で感じていました。退部ラッシュの末にバスケ部に残った生徒は、進学クラスには僕を含めて四人いました。僕がその頃化学の試験で9点を取ったという事実からもわかるように、僕ら四人が部活の疲れのせいであまり勉強ができていないのは明らかでした。
その上バスケの実力も大したことはなかったのだから、僕たちに吹く風は逆風以外の何物でもありませんでした。僕らにしてみても、そんな毎日に格別の充実感を感じていたわけでもなく、ただ先ほども書いたような"意地"だけで部活に残っているようなものでした。
やがて季節は、秋から冬へと変わります。日は短くなり、暗闇でいちゃつくカップルは増え、そんな彼らのそばをランニングで駆け抜ける気分は、ちょっと言葉では言い表せません。
そして、僕たちはあるイベントを迎えました。それが、マラソン大会です。
それは年に一回、全校生徒が高校の近くの市民公園の周りおよそ10kmを走らされるという、どこの学校にでもありそうなありきたりなイベントです。
ところで当時、僕たちバスケ部はある不満を募らせていました。それは、「どうして毎日こんなにも辛い練習に耐えているのに、俺たちはこんなにも地味なんだろう」というものです。毎晩放課後に校舎の周りでこれ見よがしにトレーニングをする陸上部や、校舎の隣のサッカー場で校舎からの黄色い視線を浴びながら汗を流すサッカー部に比べて、バスケ部はあまりにも地味でした。ほぼ毎日、授業が終わると同時に体育館に走り、あとは体育館の施錠時間まで感情を殺して走り回る。施錠を済ませて外に出てみても、残業をしていた教師の数人にくたびれた一瞥を投げかけられるのみで、「こんなにも頑張ってるんだから、もう少し周囲の脚光を浴びても良さそうなものではないか」と、部員同士で愚痴をこぼし
あったりもしました。
そんな僕たちにとって、マラソン大会とは千載一遇の好機でした。もちろん、日頃の努力の成果を見せつける為の、です。
しかし同時に、僕たちの中には幾ばくかの「舐め」がありました。「10km?おれらは夏の練習で毎日吐くまで追い込んでんだw(実際に僕を含む数人の部員は夏場に吐きました。熱中症で気絶した者もいました。)マラソンごときウォーミングアップにもならねえよww」と。
その時僕たちは、まだ知らなかったのです。まさかの甘さが、その後の学校生活を大きく左右することになろうとは。《続く》