2008年6月7日土曜日

ひろし

こんばんは。今日はボクがブログ書きます。
 
まずはじめに、今日は練習休んで申し訳ありません。目に"ものもらい"のようなものができてしまい、今朝医者に行ったらプールには入るなとキツク言われてしまいましたw まわりにうつしてしまう可能性があるので仕方ないですね。。。とはいえ、大会が近いので焦り気味です(><)早く直してまた頑張ります!ちなみに筋トレはできるんで、日曜はガッツリやります☆
ときに、最近あまり寝ていない日々が続いてしまい、友達に「やつれたね」って言われました(ToT)みなさん身体には気をつけてくださいませ。
 
ところでボクは今、「天空の城ラピュタ」を観ています。やっぱり宮崎駿=ラピュタですよね〜♪松本は怒るかもしれんけど・・・。シータがかわいいですね、あ〜ぁ、あんな子いないかなぁ(~_~)
ちなみにラピュタが描いてるものって決してアニメ映画として受け取られるだけのものではないのです。科学の発展の始まりは神のすばらしさ、全能性を立証しようとしたことに始まるそうですよ。星々が神と崇められたことからわかるように空とは神の世界だったそうな。つまり天空とは科学の対象であり、未知の世界であり、憧れであったのです!だからラピュタに出てくる超文明を持った「天空の城」は人々の夢そのものなのです。そして、ラピュタの主砲は「インドラの矢」と呼ばれますが、インドラとはヒンドゥー教の神の名称であり、雷を操る雷霆神のことなのです。つまりラピュタはインドラの象徴、"神"とも言えるでしょう。しかし、ラピュタでは文明が眠ってから長い年月が経ち、また目覚めた後もシータとパズーによって滅ぼされて(救われて)しまいますが、"天空の神"が滅びることは何を意味するのでしょうか。科学の進歩における未知なる部分の開拓によって、確かに、人類が知りえぬものが"なくなった"こと、神を畏れなくなったことを描いたとともに、科学への盲信性に警鐘を鳴らしているように思えます。つまり、科学によって得た技術や知識であっても自然の摂理に逆らうものであってはならない、ということです。シータは言います、「どんなに素晴らしい文明を手にしても、人は土から離れては生きてはいけない」と。これこそまさしく宮崎駿が言いたかったことではないでしょうか?そして"未知なるもの"を畏れるべきことを、誰の手にも届かない宇宙に向かって羽ばたいていく飛行石が象徴しているのではないでしょうか・・・とボクは考えます。
 
・・・・・・映画に関してちょっと考察してみましたが、今主専攻の授業の1コマではこんなことをやってます。英語でディスカッションしますw しかも題材はアメリカの民族差別主義ですよ〜(ToT)
なにが言いたいのかといいますと、だから寝不足なんです(><)言語として英語を勉強していた日々が懐かし〜いな〜ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・・と思う今日この頃。。。。。。みなさまはいかがお過ごしでしょうか?www
 
すずむしや 誰のためにか 鳴きやらむ 七つ煌めく 空の星にか
 
→季語とかガン無視だけどどう?(^^;)
 
 
次は・・・ちさとさんが今頃ブログを書きたがっているはずです・・・よろしく〜
 
 

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