伊関です。
突然だが、中国では王朝がかわるごとに前王朝の文物が破壊されるために資料が残らないことが少なくない。
中国では書画一体という形式があり、この「画」というのがマズイ。西域から侵略にくる遊牧民の多くはムスリムであり、偶像崇拝は禁止されている。そのため、画を燃やすときに同時に書までも失う。
それとは別の理由で書が残らない場合がある。それはいくら書の中身が名文美文であっても作者が中央政府を批判しているか、内容がいささか卑猥である場合である。
その代表的な作品が『遊仙窟』である。唐代伝奇小説の先駆けたる作品でありながら、20世紀に入って中国小説研究家でもある魯迅に再評価されるまで中国人には評価されて来なかった。
『唐史』において作者の経歴については書かれているが、正史の書籍目録でその作品が言及されたことはない。何よりその本自体が早々に中国では散逸している。では、どこにその書があったのかというと、日本である。
遣唐使が704年に持ち帰ってから珍重され、万葉集にも多大なる影響を与えた。
しかし、先ほど申し上げたように内容がいささかよろしくない。作者は中央政府を批判して左遷されている。そのため、その作品のプラスの評価をすることはまずできない。作品に荷担することになるからだ。では、マイナスの評価をすることはできなかったのか。つまり、卑猥さ、猥雑さを批判することはできなかったのか。実は、作品の下品な部分の多くは「的と矢、筆と硯」などの暗喩により描かれている。これを下劣と批判しようとすれば批判した者のイマジネーションが問われることになる。
以上のように、異国情緒とは恐るべきもので、『遊仙窟』などという一般大衆の間でいっとき流行したエロ小説が、日本では天皇が国家のブレインを総動員して翻訳させ、丁寧に寺にしまっていたのである。
これから留学に行かれる諸君は物事の真の価値を見抜ける力を養って帰ってきてほしいと願うばかりである。
長文失礼。
割込御免。
松下よろ。
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